妊娠、出産

出産レポ 36歳高齢 破水から5日もかかって産んだ話

お腹に指でハートを作る女の人

今回は私の出産レポになります。もう1年ちょっと前の話になりますが、今でも鮮明に覚えています。

おゆき
おゆき
辛かったことはいつまでも覚えてるタイプなので。。。

妊娠時35歳、出産時36歳でいわゆる高齢出産の部類ですが、妊娠経過はすこぶる順調。39週で3000gを超えていました。

それでは、長文になりますが…最後までお付き合いくださいませ。

1日目 その時は突然やってきた

39週2日 (日)

陣痛ジンクスって知ってますか?

オロナミンCを飲むだの、焼肉を食べるだのすると陣痛が来るというジンクスです。

そろそろ大きいお腹もしんどくなってきたので、早く出てこーい!ということで、陣痛ジンクスの1つ『辛いもの』を食べに、その日はインド料理屋のランチに夫婦で行っていました。

普段は甘口ですが、今回ばかりは辛口で。

満腹食べて、外に出て数歩歩いたその時

ジョボッ

と何かがお股から流れたのが分かりました。

妊娠中、尿もれもしていたので、もしかしたらおしっこ??

いや、でも量が多い…

生暖かい…

もしや、破水?!?!

トイレで確認するも、透明で何が何だかわからない…

夫に相談して急いで帰宅。

すぐに病院に電話し、とにかくすぐに来てくださいとのことだったので、車で病院へ。

羊水だと色が変わる棒状のようなものでチェック。

あれ?色が変わらない…

おしっこだったの?!

と、その時助産師さんが、指を突っ込んで来てドバッと何かが出て来ました。

『はい、破水ですねー入院です!』

????今無理やり破水させた??何今の??と混乱する私。

結局何が何だかわからないまま15時ごろ破水からの入院を伝えられました。

今日中に産まれなかったら、明日の朝から促進剤を点滴します。促進剤の説明も同時に行いますので、ご主人にも来てもらってください。

とのこと。

結局この日はなんの音沙汰もなく、夫は自宅から入院バッグと陣痛バッグを持って来てくれ、帰宅しました。

陣痛バッグ&入院バッグの中身とバッグの大きさを公開! 昔から追い込まれないと動けない私は、入院の準備もなかなか進まず、34週ごろにやっと陣痛バッグ、入院&退院バッグが完成しました...

夜はナースステーションの近くの病室で、NSTをつけたまま就寝しました。

2日目 睡眠不足でしんどい

39週3日(月)

朝、看護婦さんが『よく眠れましたかー?』と朝食を持って部屋に来てくれました。

実は…

ぜんっぜん寝れなかったんです!!

なぜかというと…

夜中に隣の部屋から大きな叫び声が聞こえてきて…どうやら、陣痛がきて家から病院にやってきた方らしく。

ご主人、親御さん、勢揃いで隣の部屋も廊下もうるさいうるさい…

5時間くらい叫び声が続き、分娩室へ移動する音、産まれたらしくご主人が色んなところに電話する声、全部聞こえてました。

そりゃあ寝れないでしょ?

夫に耳せん、持ってきてもらいました。

2日目 朝8時から促進剤投与開始

音沙汰がないため、促進剤の点滴が始まりました。
点滴

オキシトシンという促進剤を使いますと、主治医から説明がありました。

子宮破裂のリスクがありますって怖いこと言われてドキドキ。

破水からのお産は、感染症リスクが高まるため内診もできず、促進剤を使ってできるだけ早く出産するのがベストだそうで、子宮口の開き具合もわからないまま、促進剤投与が始まりました。

そして、抗生剤も飲みました。

夫は仕事を休み、今か今かと陣痛が来るのを待ちましたが…

音沙汰なく20時ごろ、促進剤をストップし耳せんをして就寝しました。

3日目 そろそろ出てきていいよ!

39週4日(火)

全然音沙汰がないので、夫は仕事に行きました。

そして、私の両親が電車で2時間かけて会いにきてくれました。

両親的には今日産まれるだろう。という算段だったみたいです。

私はというと、朝からまたオキシトシンの点滴が始まり、抗生剤を飲み、NSTをつけたまま病院の廊下を徘徊していました。

ステッパーを踏み踏みしたり、足湯したりスクワットしたり…
足湯

でもこの日も陣痛は結構来るものの、一向にお産は進まず。。。

残念だけど、両親には帰ってもらいました。

この間にも、どんどん分娩室に人が入って行き、産声が聞こえてきて…

私は、なかなか進まない自分のお産に、焦りを感じていました。

なんで出てこないんだろう…

夜、なんだか不安になって夫に電話をし、話を聞いてもらいました。少し落ち着いて就寝しました。

4日目 いたーーーい!!

39週5日(水)

全然お産が進まないので、促進剤の種類を変えることになりました。

結構キツい種類みたいで、あんなにうんともすんとも言わなかった子宮が急にズキズキと張り出し…昼頃には食事も取れないほどに…

陣痛はお腹より腰が痛い!

まぁ、とにかく痛い…

これが陣痛かぁ!と浸る余裕もなく…

お腹じゃなくて腰が…腰からお尻穴にかけて中から大きなハンマーで殴られるような痛みでした。

おゆき
おゆき
腰が割れる!!って本気で思いました…

よく、テニスボールをお尻の穴に当てて押すといいって言いますよね。あれ、夫にやってもらったんですが…

とにかく腰回りが痛すぎて触られるのが無理でした。

夫にやってもらってる時に、触らんといてー!!!とキレました(笑)

おゆき
おゆき
夫よ、ごめん…

トリペと。という漫画で、陣痛の痛みはイラっとする痛み。と書いてあったんですが、ほんとにそうでした。

とにかく気が立ってイライラ。なんでこんなに痛いの?!と、イライラ

こんなに痛いのに、まだまだ分娩室には行けないと聞いて、絶望的になりながら痛みに耐えていました。

そして、20時ごろこの日も促進剤ストップ。

こんなにしんどかったのに、また明日1から…もう、ほんとにクタクタで水分も取れず陣痛室で吐く始末。

促進剤はストップしたものの、22時になってもまだ陣痛は続いていて、これは促進剤によるものなのか自然の陣痛なのかも分かりませんでした。

神助産師現る!

23時ごろ、夜勤の助産師さんがいきなり現れ

助産師さん
助産師さん
内診します

と言い出し、子宮口を見てくれました。

今まで感染症のリスクがあるからと、子宮口は一切見ずだったのに。

そして

助産師さん
助産師さん
子宮口ほぼ全開です。眠剤出すので体力回復のため2時まで寝てください。そこから自然の陣痛で明日の午前中には産まれます!

と、的確な指示と具体的な出産時期まで教えてくださいました。

なにこの助産師さん!神?!

そして、

助産師さん
助産師さん
お母さん、赤ちゃんもうそこまで出てきてますよ!頭さわれますよ!触ってみてください!

と言われ導かれるままに子宮口を触らせてもらいました。

この時息子の髪の毛を触りました。

ほんとに、ほんとにすぐそこにいました。

折れかけていた心が戻ってきました。

神に言われるがままに眠剤を飲み少し就寝。

そばにいた夫いわく、わたしは白目で死んだように寝ていたそう。。。お疲れ、あの時の自分。

5日目 息子とご対面!からの意外な展開

39週6日(木)

2時ごろ陣痛の痛みで目が覚めました。

夫は木曜がお休みなので、ずっとそばにいてくれていました。

朝までずっと陣痛に耐え、8時ごろ促進剤の点滴も始まりました。

そこからがまた強烈に痛くて…

分娩室にはいつ行けるのー?

まだー???

としつこくしつこく問い続ける私。

その間にも他の人がどんどん出産していき、またしても焦る私。

もう、疲労もピークでこれ以上伸ばすといきめなくなる…というタイミングで分娩室に行けることに。

ラストスパート!!

あと少し!あと少し!!!

終わりが見えてきた!!

と自分を奮い立たせて分娩台へ。

陣痛が来るたびにいきむ。

何回もいきむ。

出てこない…

最後は会陰切開、吸引、お腹に馬乗りで、ようやく頭と肩が出て来た!!!

病院の方針で、両手が出て来たらお母さんが赤ちゃんのわきの下に手を入れ、自分で引っ張り出すことになっていたので、練習通り引っ張り出しました!

息子は、羊水でにゅるにゅるしていてとても温かったです。

この感触は生涯忘れることはありません。

おゆき
おゆき
やっと出てきたよおおおー!

午前11時11分、男の子を出産しました。

この時は嬉しくて泣くというより、ホッとして笑顔になりました。

が。

産声聞いてないよ!!?!

私の胸にいた息子は、すぐに取り上げられ先生数人で何やら処置されていました。

…泣かない。。。

不安で不安で、夫の方を見ると夫も硬い表情。

『赤ちゃん、ちょっとしんどかったみたいだけど、大丈夫だからねー』

と看護師さんたちに声をかけられるも、産声が聞けないことには安心できない。

どれだけの時間が経ったのか、一瞬だったのか長かったのか。

ふにゃぁ〜

と息子の泣き声が!!!

よかった…生きてた…処置していた男の先生2人のうち1人が、こっちを向いて笑顔でうなずいてくれて、ホッとして涙出ました。

ただ、息子も私も発熱していて感染症の疑いもあるとのことで、産まれて早々息子は近所の総合病院に搬送されることになってしまいました。
保育器に入った我が子

私たちは、何が何だかわからないまま先生にお任せしました。

NICUのある大きな病院に搬送された息子は、念のためいろんな検査を受けましたが、心配されていた感染症も問題なく、心臓やその他の臓器、脳波などもクリアしました。

私は、出産した次の日に息子のいる総合病院に転院することに。

思いがけない展開に頭がついていきませんでした。

とにもかくにも、転院です。美味しかったご飯ともオサラバです。。。

分娩室から出ると、昨晩内診してくれた神助産師さんが待ってい
てくれました。

夜勤なのに、私のお産が終わるまで待っててくださったそうで、出て来た私の手を取り『本当に良かったです!!』と涙を流してくれていました。

あとあとから話を聞くと、どうやら分娩室に入る前から、私もお腹の赤ちゃんも元気が無くなって来ていたみたいで。

分娩台に登った後も、赤ちゃんの心拍が下がっていて出てきた息子の肌色が悪く、夫は覚悟したそうです。

そんな私を心配して、神助産師さんはずっと外で待っててくれたそうで…

もう、感謝しかありません。私も泣きながら手を取り感謝の言葉を伝えました。

夫も、あの助産師さんがいなかったら、息子はどうなってたか…とっさの判断が良かったんだと思う。としみじみ助産師さんに感謝していました。

お産は母親も子供も命がけ。

正直、私は、自分がこんな難産になるなんて思いもしていませんでした。

陣痛が来たらいきんで産まれる。

そんな単純なものではありませんでした。

無事に産まれることは奇跡なんだと、改めて実感しました。

そして、自己流のソフロロジーは全く効果がないこともわかりました。イメトレも全く意味を成しませんでした。

とにもかくにも、5日間よくがんばったね。私も息子も夫も。おつかれさま。

番外編 転院した話

出産翌日、院長や助産師さんに見送られ総合病院に転院しました。

あぁ、お祝い膳食べ損ねた…マッサージも受け損ねた…

産後に楽しみにしていた色々なサービスを泣く泣く放棄し(笑)いざ、息子のいる病院へ。

改築したばかりの綺麗な病院で、看護師さんから説明を受けNICUへ。

息子はもう保育器から出され、明日にもNICUを出て母子同室可能ですと言われ、一安心。

初日は、3時間ごとに息子に会いにいき、おっぱいを飲ませて病室に帰る1日でした。

転院2日目からは相部屋での母子同室となりましたが、一部屋に大人4人の赤ちゃん4人の計8人の生活は壮絶で、次の日から差額を払って個室移動しました。(産後の相部屋はわたしはお勧めしません。)

新生児黄疸が出た!

3日目からは個室!超快適!息子と存分にイチャイチャできる!と思っていたのもつかの間。

息子のビルビリンの値が高く、新生児黄疸と診断され光線治療を行うことに。
光線治療

こんな感じで、部屋で行いました。

これで値が下がれば、私と一緒に退院できますよ。とのこと。

目に良くない光なので、こんなテープを目に貼り付けておきます。なんだか可哀想でした。
目隠し

値は順調に下がり、次の日には治療が終わりました。

私はというと、転院後絶賛マタニティーブルーズに陥っていて、1人になるとわんわん泣いていました。

出産の疲れが抜けきらないまま転院し、転院先は母子同室で休む間も無く、さらに何かわからない不安に襲われ、泣いていました。

看護師さんに見つかり、カウンセリングを紹介すると言われましたが、家に帰れば治ると思っていたので断りました。(本当に帰宅したら治りました。)

授乳室で仲良くなった同世代のお母さんも、同じように部屋で1人で泣いてるよ!と笑いながら教えてくれて、私だけじゃないんだ。と励まされ元気が出ました。

そんなこんなで、無事に5日目に退院しました。

以上で出産レポは終わりです。

現在息子は1歳1ヶ月。成長はゆっくり目ですがよく食べよく寝てすくすく成長中です。

長々とお付き合いいただきありがとうございました。

さいごにひとこと。

出産の痛みって、子供が産まれたら忘れる!と良く言いますが、私は全然忘れる気配がありません(笑)

おゆき
おゆき
しつこくしつこくしつこく覚えてます。

でも、覚えているからこそあの時頑張ったことを思い出し息子を愛おしく思うことができるので、まだまだ覚えておこうと思っていま

余談ですが、産まれた後処置してくださった男の先生が2人いて、産声あげてから1人の先生がこちらを向いてうなずいてくれた。

と書きましたが、その場に居合わせた夫いわく、そんな先生はいなかったそうです。

処置していたのは男の先生1人だったとか。

???私が見たのは誰だったんでしょうか。息子を助けに来てくれた、私にしか見えないスーパードクター?

いまだに謎です。

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